剣術の修行の日課はどの流派も必ず、境内や道場の掃除からはじまります。
私は、剣術の修行で一番楽しく、技を考えることに没頭する時間です。
掃き清める
秋の落ち葉の季節や春の桜吹雪の境内や階段を竹箒で掃き清める。
竹箒の握り方、握る位置、階段での足の裁き方 体の開き方、裁き方を意識しながら、境内を清める。
これは、比較的実践的な体の動きを意識して日常の効果的な鍛錬となります。
剣術修行の旅日記 佐賀藩・葉隠武士の「諸国廻歴日録の一説に雑巾で磨くものは床にあらず…磨くものは己の心の曇りである。ほうきで掃くのは落ち葉にあらず、掃き清めるのは己の心の汚れである。
まさにその通りであります。
剣術の修行は毎日の掃除からといっても過言ではないのです。
洗濯した衣類を干す
衣類というのは、当然人の体をしています。洗い立ての衣類は多くの水分を含みそれなりの重さがあります
人間の関節や退官を意識しながら濡れた衣類に対応すると、実践に近い体裁き、技の鍛錬となります。
ベストキッドという映画やテレビドラマを見たと思う人がいると思います。
人をコントロ—ルする体の使い方を学べます。
洗濯物をたたむということも同じです、どう体の中心をとらえ、関節をとらえ腕や体に技をかけるかを意識しながら衣類をたたむと、きれいにたためます。
食事を作る
子連れ狼の—その小さき手に—を是非読んで欲しい。
柳生烈堂が、阿部怪異に話しかけるシーン。
烈堂
「怪異 我らが米を研ぎ、火を焚きつけることがそれほど面妖か」
「武士なればこそ米を炊ぐこともできらば、火を焚くにも長けている」
「うぬは 武士が米を炊いだり火を焚きつけることが、面妖と思うておるであろう」
「刀をとり戦うのが武士でありかような事は女がするものだと」
「戦場では誰が火を焚き米を炊ぐぞ」
怪異
「あっ」
このセリフの通り、武士は戦場でやるべき事は戦うことだけではない、否、戦いに必要な事は己でやり通すものなのです。
技ばかり、心意気だけで武士の修行はできないということを心に留め置いて欲しいものです。
武士たるものすべての日常を鍛錬とすることが必要なのです。